ぼくらの愛した松田咲實

2007年5月28日昼ごろ。株式会社アーツビジョン代表取締役(当時)の松田咲實氏が、児童買春・児童ポルノ法違反容疑で書類送検されたというニュースが報道された。報道よりおよそ2ヶ月も遡る、4月4日の時点で、松田氏は逮捕され容疑を認めている(その際は病状を理由に釈放)。容疑は、更に4ヶ月を遡る2006年12月、オーディション受講者の16歳の少女に、面接合格をちらつかせて猥褻行為を行ったことである。
騒ぎはネット上で瞬く間に広まった。夥しく乱立した声優板のスレに、ぼくは翌日の仕事のことも気にせず、熱に浮かされたように一晩中張り付いていた。しかし徐々に、ぼくはその過敏な反応に違和感を憶え、やがて騒ぎの動向を見守るのをやめてしまった。その違和感はきっと、ぼくの松田氏に対する特殊な思い入れに基づいており、大多数の「声優ファン」の人達には通じないものだ。それは、同じ思いを持つ数少ない声オタの中でしか共有され得ないだろう。
 でも、だからこそぼくらは、その思いを語らなければならない。潔癖さを楯に、事件を巡る言説を簒奪していった彼らから、ぼくらはそれを取り戻す言葉を紡がねばならない。「堀江由衣の所属していた事務所の社長」としての姿でもなく、「オーディションに来た女の子に手を出す中年」としての姿でもなく、「ぼくらの愛した松田咲實」その人について語る言葉を。

 松田氏は1984年にアーツビジョンを設立。更に1990年には日本ナレーション演技研究所を、1997年には姉妹事務所のアイムエンタープライズを設立。多くの人気声優を輩出し、「声優ブームの立役者」とも目された。
 彼は、所属スタッフや俳優とのコミュニケーションに重きを置く、人望厚い人物として知られていた。その人柄は、関係者の記した記事や文献、あるいは所属声優の語る「うちの社長」といった感じのトークから偲ばれる。
 しかしそのようなイメージを一転させるインパクトが、事件にはあったのかもしれない。特に若い女性声優を中心に据えて、商業活動を行なっていた総元締め。それは、商品あるいはその候補たる女性に手を出せる立場にある。声優ファンの中には、事件をそのように捉えた者もいただろう。
 そして批判の矛先は更に、女性声優たちへと向かった。実際にそういった行為を通して仕事を得ていたのは誰かという「犯人探し」が始まった。奇妙 なことに、今回の事件に“絶望”しアンチに回った者も、逆に予てから“アーツ・アイム的”な売り方を苦々しく思っていた者も、両者は驚くべき同調を見せて「怪しい」とされた声優叩きを行った。
 枕営業。その言葉は、事件を語る上での一つのキーワードにまでなってしまった。
 かくして事件は、枕営業を行なっていた声優は誰かという魔女狩りの言説として肥大した。それを排した所に成り立つ「実力主義」を求めるファンの運動として、事件は彼らによって回収されていった。
しかし、決して見過ごされてはならない点がある。事件はあくまで、優位な男性の立場からの、パワー・セクシュアル・ハラスメントであった。批判はまず、そのような下劣な男性性を断罪するところから、始められなければならないはずだ。しかし、魔女狩りの言説では当の加害者男性の姿は巧妙に隠され、なぜか女性の側を叩く言葉ばかりが先行する。
 それはやはり、批判する側として己の立場を確保し、痛みのないままに当事者のごとく振舞おう欲する消費者たちの、男性的で身勝手な視線ではないだろうか。その視線は奇妙にも加害者の姿を、批評家たらんとする男性たちの立場に共鳴させて隠蔽し、いもせぬ魔女ばかりを罪の引受人とする共犯的な言説で世界を埋め尽くす。その先に出来上がるものこそが、彼らの求める「実力主義」に基づいたシステムだ。
 それは奇妙な偽善で縫い合わされた、埃のない綺麗な世界だ。そういった潔癖さとは無縁のぼくらが、そこに入り込む余地はない。そしてそこには、ぼくらの愛した松田咲實の姿もやはりないのだ。

ぼくらの愛した松田咲實。彼は、ぼくらの愛した女性声優を育てた人物であるかもしれない。しかしそれは、彼が欲望に忠実な一人の男性であったこととは矛盾しない。女性を、保護者のような視線で時に厳しく時に優しく見守ることもあれば、邪まな視線でその身体を見ることもあっただろう。そして、還暦近くにもなって後者の欲望を理性によって抑え切れなかったという、どうしようもない浅はかさは、決して許されるものではない。
 だがそれは、そのような犯罪自体として断罪されるべきものだ。彼の作り上げた、声優を巡るビジネスシステムは、一人の犯罪者の姿からは独立している。
彼女たちの放つ一瞬の輝きは、誰が何と言おうと本物であった。彼女たちがそれを奔放に発揮するシステムを作り上げるため、松田氏以上に貢献した者がいただろうか。その輝きは、彼の犯罪に決して矛盾するものではなく、却って勢いを増すものでさえある。
ぼくらの愛した松田咲實。彼は優秀な仕掛け人であり、多くの人々が彼の仕掛けを喜んで受け入れた。事件を境に、そのようなビジネスを汚いものと “絶望”し、アンチに回った者たちがいる。しかしそれは、消費の向こうに我が儘な欲望を投射していただけであり、消費行動以上の見返りが得られないことに 憤る子供じみた行為であろう。ぼくらはその偽善的な言説から疎外される。彼我を分かつ溝は、狭くとも恐ろしく深い。
ぼくらは別に、彼が売りの一つとして仕掛けた処女性なんかに金を投じていた訳ではない。もっと根元的な、役者性を、存在感を、肉体性を、より広い妄想を愛し、喜んで金を投じたのだ。
だからぼくらは、犯罪者としての彼をあくまで断罪する。同時に、彼自身の犯罪を見ずに魔女狩りの言説に逃げ込む声優ファンとは袂を分かつ。
そして今でも、彼に感謝の言葉を贈りたいのだ。社長、今までありがとうございました。いい夢を買わせてもらいました。あなたが作り上げたものを、ぼくらは今でも愛しています。(喰)