梶裕貴

彼が主演を務めるアニメ『OVER DRIVE』は非常にホモくさいアニメである。男どもが、自転車に前のめりにまたがり、サドルにケツを掲げ、火花散るデッドヒートを繰り広げるのである。彼の演じる篠崎ミコトは、そんなアニメの主人公だけあって、かなりホモっ気を漂わせている。さて、彼は受けなのだろうか、攻めなのだろうか。それが難しいところである。可愛らしい外見だけ見れば受けのようである。だが、その性格は弱気なようでかなり好戦的。攻めのようでもあるのだ。さらに、ミコトの激しい妄想癖はキャラクターの像を揺さぶる。これは演じるには手ごわい。だが、梶はこの困難に対し、巧みに立ち向かっている。彼の声は基本的に明るい。高く、響く。それを時として愛嬌の、また時として情熱の表現として使ってみせる。そして、確かに、成長する少年を描き出すのである。梶はまだ21歳である。まだ稚拙な部分もある。それがどうなるか、私は期待を持って見る。(由籠)

早見沙織

 新人・若手声優マニアにとって、辻谷耕史は、注目しないわけにはいかない音響監督の一人だ。ジャスティ・ウエキ・タイラーであり、シーブック・アノーであり、何よりバーナード・ワイズマンであったこの名優が、音響監督として極めて尖がった音像を追求し続けてきた事は、知る人ぞ知るところだ。尖ろうと思えば、人と同じような声優ばかり使っているわけには当然行かない。だから、彼の音響監督作品では、注目すべき新人声優が起用され既存の声優が新生面を開かれる。『ダイバージェンス・イブ』は水沢史絵のデビュー作で、『ヤミと帽子と本の旅人』は能登麻美子の一大転機となり、『シムーン』は相澤みちる新野美知と2006年の二大インパクトとして記憶される声優を世に送り出した。そして、今年、2007年。『桃花月憚』で辻谷が送りだしたのが、早見沙織 である。
 彼女の経歴は、相澤みちる松本彩乃矢作紗友里と似ている。高校在学中にアーツ系の事務所からデビュー。がっちりした体格と極端な声優顔 も、矢作・相澤の両先輩を思わせる。声質は、いずれの先輩とも似ていない。敢えて似たタイプを探せば、声・演技とも『桃華月憚』で共演している伊勢茉莉也。声はかすれが強く、がさがさと低い。演技は地声の上と下を地味に両方使って曖昧に感情の変化を追いかける、新人声優の標準仕様。艶のなさが、不思議と 野趣を帯びて聞こえる、アーツ・アイムと言うよりは東映アカデミー系の声と演技。高低アクセントと滑舌がかなりきちんと身についているあたり流石日ナレといったところか。この手の声優は、なんとなくそのキャラクターがその声や口調で喋っている気にさせるものであって、単体としての評価は意外に難しいが、大食漢で桃華ちゃん大好きな桃花ちゃんが可愛いのはどうしたって事実であり、だから早見沙織が可愛いのも『桃華月憚』に関する限り疑いようがない。なお、ED「この世界がいつかは」も歌っているが、歌で使える美しい高音が演技には出てこないあたりもいかにも。(郁)

代永翼

おおきく振りかぶって』、この現代最強の野球漫画のアニメ化については、ひとつ、巨大な懸念が持たれていた。はたして、主人公の三橋を演じられる声優は存在するのか。純然たる、へたれ少年声。かっこよかったり中性的だったりはしてはならない、ただひたすらに気弱で情けない少年の声。特権的な少年の美を否応もなく醸しだしてしまう女性声優は、一切相応しくない。石田彰優希比呂阪口大助、つまり中性的な可愛い声の男性声優も全滅だ。唯一、純へたれ声優として白鳥哲が知られていたが、三橋には、白鳥キャラの知能指数すら、あってはならないのである。そもそも白鳥は少年声というよりは青年声だ。では、一体誰が三橋に声を当てられるのか?
 結局、この懸念は至極簡単に解決を見た。そういう声を持った新人がひょっこりと現れたからだ。その新人声優こそ、本稿の主題である賢プロダクション所属の代永翼である。
 中性的では全くない少年声、可愛げも殆どなく、ただ野暮ったく、へたれていて、聞いていて苛立たしくさえある。いい声、がある程度は前提とされる声優界には、ついぞなかった声。美声だけでは声優の仕事は回らない、などというのは声優養成所のよくあるうたい文句だが、代永翼は、実にエレガントにこの命題を証明して見せた、と言っていい。
 未曾有の声優に対して、彼或いは彼女が開く新たな表現の地平にアニメ業界はひとまず敏感だ。だから、代永は先述の『おお振り』のみならず『機神大ギガンティックフォーミュラ』といきなり二本もの主演作をこの春クールから持たされる事になった。しかし、代永は必ずしもユニバーサルな才能の持ち主というわけではない。伯楽なくして名馬は千里を走らない。『おお振り』『GF』という情けない少年声を求める作品とデビュー年に出会えた強運には、だから戦慄すべきスター性を感じずにはいられない。(郁)

戸松遥

私が戸松遥の声に初めて意識的に触れたのは『神曲奏界ポリフォニカ』なのであるが、実はアニメ自体は3話以降から、しかも適当に見ていたせいもあって(というより設定がいまいち好きになれそうになくて)さっぱり話を最終回まで見てもわからなかったのだが、何が見続けさせたのかと問われれば、それは間違いなくそのアニメ内での声優バランス、そしてコーティ演じる戸松遥の、荒削りながらも端々から顔をのぞかせるその瑞々しい才気であった。戸松遥は現在17歳という若さ相当の演技をするという点ではさまで注目される声優でもない。しかしそこで、必要とされているところに必要とされている演技をする声優として存在できる才能というのは誉められていい。それは『もえたん』にも言えることであり、素直に強気であれることというのは若さに許される特権ですらある。
 さて、彼女の演技であるが、筆者には水樹奈々の演技と被るようなところがあるように聴きうけられる。ちょっと気道が無理して狭められたようにひねり出される高音部やはねる語尾など、愛らしさが似ているのだろう。そして『ポリフォニカ』で競演していたのも大きい。そしてそのような聴き方というのは往々にしてこちらの耳とそちらの演技がこなれることによってさっぱりと忘れ去られてしまう類のものでもある。
 すなわちこのような聴き方を許すというのも新人声優の特権であり、新人声優を聴く者に対する赦しでもある。若さとは我々声ヲタに演技というものを考えさせる鏡であり、その意味において透徹な水面である彼女こそ新人声優の模範であり、地平でもある。その地平線の向こうに何があるのか見守れる幸せをかみ締める。(系)