福圓美里*鼻

人体に穿たれた穴、尿道・膣・肛門・眼・耳・口・鼻の七種十箇所。前三種は排泄と生殖という隠されるべき事に直結するため隠され、後四種は外界の情報や物質を取り入れるため表に出される。然るに鼻の穴は眼・耳・口と異なり多くの場合人の目からは隠されており、相対しても相手の鼻の穴は見えない。そこから我々はわざわざ隠す穴でもなく常に衆目に晒されている穴でもない最も半端な穴として、しばしばその性に於ける役割を軽視しがちである。生殖において鼻が果たす役割は嗅覚という意味ではよく知られている。いわゆるフェロモンである。しかし鼻自体を性器として使うかというとよほど特殊なプレイでないと考えられまい。(実は眼も同様に、視覚という意味ではきわめて重要だが、眼窩や眼球自体を性器として使うとなると、これはもうどう考えても猟奇的である)
 それでは、鼻の穴が前を向いていたとすればどうだろうか?
 その問いを我々に叩き付ける存在が福圓美里である。女性の鼻の穴が見えているという状況に対し人は本能的に拒否反応を発し、彼女には性的魅力がないと判断したがる。
 だがちょっと待ってほしい。鼻の穴が見えているような女性は不細工だという観念に疑問を感じるのは私だけだろうか。余りにも開け広げな性の表現を、ただ下品と切り捨ててはいないか。鼻が現すエロスには、「隠されるべき穴が見えている」という「空白の神聖性」のメカニズムがある。実はこの「聖」に 繋がるモノこそが根源的な性であり、純粋なるが故に刺激が強く容易には受け入れられない。しかし福圓美里はそんなことにはお構いなくその未熟な性の輝きを持った声をして我々の内的領域に進入するのである。
 きちんとした心の準備もなしに内なるアニマに生々しく接触されるのは人によっては苦痛を伴うこともあるかもしれないが、なあに、かえって免疫力がつく。(蟹)