堀江由衣*モノ

 堀江由衣には、チンコが生えている。何故なら、堀江由衣にはチンコが生えていなければならないからだ。堀江由衣のチンコ、あのトップアイドル声優股間のスキャンダラスな昂まりが、フェティッシュでないということはありえない。
 チンコの生えた女性声優は、無論、堀江由衣が最初というわけではない。堀江由衣股間から天空へと屹立する雄渾な肉槍を前に、我々は様々な声優を思い出してきた。矢島晶子渕崎ゆり子天野由梨久川綾。ある種のボーイッシュな部分、女として未成な部分の印象で我々を圧倒してきた、ファンム・ファタルたち。彼女らの欠如を充溢したチンコとして表象しうる、という発見、それが堀江由衣にはチンコが生えている、という言明の意義だ。堀江由衣登場以前には、彼女らの、ファリック・ガールとしての魅力は、明確には意識されることはなかった。まさに、遠近法的倒錯。堀江由衣のチンコ。それは近代声優批評の起源でこそあったのだ。
 さて、この偉大なる屹立には、しかしひとつ問題がある。誰もそれを目の当たりにしたものがいないということだ。声を聞けば、そこにそれがあることはわかる。仮に堀江由子の愛人なる人物が、彼女の股間にはビラビラのはみ出た卑猥なワギナのあるのみだ、と報告したとしても、それはなんの問題にもならない。メディア的身体にチンコを生やしめる天使的存在感こそが裸の堀江由衣であり、由子の肉体はこの際無関係だからだ。
 それではこのげんしけんの企画趣旨にそぐわぬ、と読者は思うも知れぬ。だが、眼球だけが我らの視覚ではないことを、努々忘れてはなるまい。我々孤独な声ヲタの心象、虚妄のエコロケーションがもたらすバーチャルな海底図には、確かに堀江由衣のモノは見える。サン・テグジュペリも言っている。「いちばんだいじなものは、目に見えない」と。だから、我々は耳で見る。声ヲタだから。(郁)