魔法少女リリカルなのはStrikerS

 2004年の放映開始以来、全ての心ある声優ファンに糞キャスティングの代名詞として親しまれているのが『魔法少女リリカルなのは』シリーズである。誤解なきように申し上げておけば、『魔法少女リリカルなのはStrikerS』が糞なのは『魔法少女リリカルなのは』が糞だからであり、なのは厨どもが信じたがっているような『StrikerS』にいたってなのはが十九歳になったからダメになった、などという事実は存在しない。第一作に内在されていた糞な部分がシリーズを経るごとに拡大していき、誰の――さしものなのは厨の腐った――目にも明らかになった、と、そういう過程として理解されるべきだ。
 まず、九歳の天真爛漫な少女に田村ゆかりというのは、これは何かの悪い冗談だろうか。偽りの純真さを演じさせれば天下一、裏を返せば勝負できる声の幅が狭いから文脈に頼らないと十分に豊かな表現ができない田村ゆかりに、これは片肺飛行を強要するようなものだ。この片肺飛行の田村ゆかりのライバルが、声のシンプルさを声域の広さでカバーして良き平凡さ/平凡なる良さを醸してナンボの水樹奈々綾波芝居というのもこれは嫌がらせだろうか。綾波芝居にはそれ自体としてニュアンス豊かな声質が不可欠なのだ。綾波芝居で評価されたのは、林原めぐみにしろ南央美にしろ猪口有佳にしろ茅原実里にしろ、複雑微妙な声質で力押しできる声優ばかりである事は忘れてはならない。そして、その二人に絡む第三勢力が、植田佳奈水樹奈々とあまりにも声の良く似た植田佳奈。それでキャラが立ちうると、どうして思いこめるのか。まあ、『なのは』の登場人物はみんな同じ原理で動いているので誠実なキャストと言って言えない事はないが、そういう洒落っ気があればどれだけマシだっただろうか。清水香里を無駄遣いしたがために極めて苦しい斎藤千和中原麻衣の起用を余儀なくされたり、無定見としか言いようがない。(郁)